新居もようやく完成
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あこがれのダンハウスとの出会いから数年で、材木座の我が新居もようやく完成。入居後してしばらくしてからと、先輩オーナーや、現在計画中の方、ご近所の方、初めてダンハウスを見に来た方など、たくさんの方が、オープンハウスに来訪してくれた。床暖房と高断熱構造で、冬寒いと思わない室内。木質系の重厚な内装+外装でデザイン。敷地の条件を最大に活用し、バランスの取れた間取り。など、選択が正しかったことを今でも実感している。
時々勉強のため、他のモデルハウスも見学するが、ダンハウスに勝るテイストをもつ家と言えば、重厚な古民家や、歴史ある洋館くらいではないかと思う。あと、住んでみて問題が1つ。旅行の時に普通のホテルに泊まると、我が家の方が上質な空間のため不満なことである。つい建築にこだわった宿を選んでしまうと、宿代が高くつく。(これで最終回)
※塾長の建築日記その2もご覧ください。
12層の外壁構造
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建物には外気通気層をもうけている。写真(クリックで拡大)をご覧いただくと、白い防火ボード?の上に横に木材が打ち付けてある。外壁材はこの上に釘で打ち付けるので、間には3cmほどの通気層が出来るというわけだ。構造の外側にさらに通気層をもうけ、外壁材を施工する重厚な外観に近所の通行人は感心していたようだ。住んでから測ってみると建物の外壁は25cm以上あった。室内から数えると、ビニールクロス→石工ボード→アルミシート→ロックウール断熱材→内壁通気層→通気防湿シート→構造板→防水紙→防火ボード→下地垂木→外壁通気層→外壁材となる。結構手間がかかっている。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
床暖房は断熱とセットで
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写真(クリックで拡大)のアルミ箔のようなシートの中にロックウール断熱材が敷設されている。すべての外壁がこのような材料で断熱されている。最近は、多くの家で床暖房が新築住宅に設置されるようになっているが、まだリビングだけとかホットカーペットと変わらない使い方の家が多い。「足が暖かい」と喜んでいるだけでは本当の床暖房のではないのだ。我が家の場合は、1階と2階のフロア全部に床暖房が敷設されている。朝晩1時間程度の床暖房運転で、真冬でも家全体が20度前後に保つことができる。それには、窓が全て3重ガラス構造と完璧な断熱仕様が不可欠である。風呂も玄関土間もトイレも居室もすべて同じ温度、毎日、今日は寒いかどうか?ベランダに出て確かめるのが我が家の冬の習慣である。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
建物筐体に外気が通気する工法
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完成したら見ることができない我が家の建物構造部分。さらにわかりやすようダンハウスのホームページから拝借した画像で紹介しよう。我が家の構法は2×6(ツー・バイ・シックス)である。よくある輸入住宅の2×4構法の1.5倍の厚さの壁となる。図(クリックで拡大)がその内部構造の断面図。骨太な構造にたっぷりの断熱材。さらに外側に通気層をもうけ外気が筐体を貫流するようになっている。構造を100年持たせるには、建物の筐体内部を湿気させてはいけない。日本の古い家屋が長く保っているのは、木部が空気にさらされているからだ。この建物は、そこに学んでいる。
最近、シックハウス法といって、室内の強制換気を義務づけているが、単に断熱のことばかり考えるから、問題が起きるのである。昔の家は窓開口部が多かった。家には窓を沢山つけるべきだ(開け閉めして換気できる。)。また、建物内部の通気を考えた構造にすること。建売りではコスト&ノウハウ的に不可能なほど、見えない筐体内部に手間がかかっているのがダンハウスである。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
あっという間の上棟
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基礎ができてしばらくの間、仕事が忙しくて鎌倉に足を運ぶことができなかった。当時、義父が藤沢のアパートを借りていたので、デジカメで撮影した画像を時々送ってもらい工事の様子を把握した。1階から2×6の構造が立ち上がりはじめ、3階の屋根まで出来るまで、あっという間の出来事だったと思う。
基礎ができて上棟式までは1ケ月足らず。式と言っても家の四隅に御神酒と米をまいてお清めし、設計者、大工さんなどと乾杯をする程度で終わりにした。オーナーによっては大宴会に突入するそうだが、東京から通い幼子2人を抱えていてはそうも行かない!次の機会には友人も呼んで大宴会にしようと思っている。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
地鎮祭を行いました。
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見積もりを了承し工事契約をした。支払いは、契約時20%、着工時20%、基礎完了時20%、上棟時20%、完成引き渡し時20%という決まりだ。ローンを組むと、ローンの支払時期に合わせることになる。契約が完了したら晴れて着工となる。通常、家を建てる場合は、地鎮祭を執り行う。私の場合は、ダンハウスに全部お任せし、神主さんの手配からお神酒お供物まで用意してもらった。
地鎮祭でのメインイベントは、クワとスキ入れで、こんもりした土の小山に手を入れる儀式である。最初が設計者で、次に施主という順番になる。ダンハウスの半澤氏は、当たり前だが、手なれておりかけ声も高々!『えい!え〜い!』とクワを入れてくれた。自分はと言えば、半分お腹に力が入ったような入らなかったような中途半端なかけ声で『え!え〜い!』とクワを入れる。それを見ていた当時2才だった長女が、この儀式以来、設計者の半澤氏を『えいえい!のオジチャン』と呼ぶようになった。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
キッチン選びは大変!
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キッチンは一番迷った。基本的には好みと内装のバランスで決めるわけだが、43種類のドアパネルと63種類の取手金具の組み合わせは無限とも言える。さらに、それそれキャビネットの幅や機能など多数用意されている。輸入するメーカーが決まっているのがせめてもの救いだ。我が家のキッチンはデンマークのINVITA社のもの。現地価格に輸入経費だけ載せているだけなので輸入システムキッチンとしはかなり安いと思う。
結果的に選んだのは、コルクタイルのカジュアルな感じに合うKate:ライトオークというパネルに写真のような取っての組み合わせ。今では、パネルも飴色に経年変化の味わいが増している。このキッチンで気に入っているのは、ゴミ箱が収納されている引き出しと、コーナーのスペースが有効活用されているコーナーキャビネットである。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
ショウルームめぐり
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我家の家づくりも、各種設備や照明器具など細部を決める段階となり、新宿などのショウルームを回る日々が始まった。この頃、子どもが2才と0才という最も手のかかる時期で、下の子は抱っこ上の子はおんぶで展示を見るという難行苦行が毎週末続いた。ショウルームには、ベビーシッターサービスあればよいとつくずく思う。
まず、トイレや水洗金具、バスルームのタイルを選ぶためTOTOとINAXのショウルーム。どちらも新宿駅前にあるので便利。横浜のみなとみらいにもある展示が中途半端なので新宿まで行くべきだ。まず、トイレはマンションで体験済みのウォシュレットと決めており、悩むことなく新製品を選ぶ。折角自分で選べるのだからと欲張って1Fと2FのトイレにTOTOとINAX(左からTOTO・INAXクリックで拡大)のものを入れた。設置してみると、TOTOの方が落ち着きがある。INAXはショウルームでは見栄えがするが、シックなダンハウスには少し合わない。機能的には大差ない。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
外装は全面板張り
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外装は、防火無指定地域ということと、デザインバランスから全面板張りとした。それにより、かなりナチュラルな雰囲気(写真クリックで拡大)になった。住宅知識の乏しい人は「山小屋風」と評しているようだが、山小屋はログ(丸太)である。本物の木製サイディングの重厚な印象からそう思うのだろう。
最近は、建築基準法から、なかなか外壁に天然木が使えない。建売り住宅では、偽物レンガ風とかコンクリート系のサイディングが使われているが、やはり本物の木は風合いが違う。防火的にみても、木はある程度の厚みがあれば、表面だけ燃えて炭化し、その後防火の効果があるので、下地でさらに防火処理をしておけば、表面はどんどん木を使って良いと思うのだが、とくに鎌倉などの古都では、そういう特例を条例化すべきだと塾長は常々主張している。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
ビニールクロス
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室内の壁は、予算に配慮してすべてクロス壁紙となった。漆喰や珪藻土が理想であったが、総予算に対して100万円以上はアップになる。あくまでも数年後の買い換えを前提に建てていることもあり、踏み切れなかった。仮に、永住することになれば、次に壁紙を張り替えるときに塗り壁すれば良いのだ。
壁紙を選ぶ際のアドバイスとしては、あまり色々な種類のものを選ばず、基本1種類としたほうが、インテリアは落ち着く。また柄も無くシンプルなものほうが後で家具や絵などのインテリアを配置するときに引き立つ。あえて壁紙を変えるとしたら、子供部屋とか、暗くなりがちな1Fのトイレ、寝るだけの寝室などに限定するべきである。
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
玄関土間はテラコッタ
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4.5帖近くある我が家の玄関土間はテラコッタタイル(写真クリックで拡大)に決定。我が家の場合、テラコッタタイルにワックスをしないよう指示した。その方が、ざらっとした質感が残るためである。しかし、住んでみると、汚れがしみ込んだりするので、最初はピカッとして嫌でもワックス処理はしてもらった方が無難である。また、4.5帖の土間は広いため、砂などの掃き出すのに時間がかかる。土間は小さい方が良いかなとも思うが、裏庭に土足で抜けられる動線は捨てがたいものである。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
床は全てコルクタイル
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設計がきまったのでいよいよ内装や外装の仕様を決める。と言ってもダンハウスには基本仕様(スタイル)があるので選択にはあまり悩むことはない。外装は、漆喰塗り壁、またはジョリパット木製サイディング貼りの組み合わせが基本である。床は、コルクタイルかフローリング(パイン材)。ワンちゃんの居るご家庭(ダンハウスのオーナーの犬飼育率は80%以上か?それも黒が多い)ではテラコッタなどを多用しているようだ。壁は、壁紙か漆喰、(最近は珪藻土も)を選択。予算が許せば、オープンスペースをすべて塗り壁にするのが理想である。ドアや窓は北欧製でメーカーが決まっており大きさ・種類の他は、塗装色を決めることになる。
ダンハウスが完成すると、オープンハウスで新居を披露することになる。仕様や塗装色を決める際には、この経験が役立ちつので、壁紙は○○邸、外壁塗装は○○邸、内装塗装は○○邸など…気に入ったテイストを直に見て決まることができる。こうして決めた我が家の仕様は以下のとおりである。
床は全てコルクタイルに決めた。フローリングの方が大人っぽい感じで、コルクタイルは少し可愛い感じになってしまうのだが、畳に次いで、ソフトな感触と、床暖房との相性から選んだ。実際住んでみると、掃除がしやすいなどの利点もあった。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
我が家の1/50模型
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写真(クリックで拡大)は、1/50の模型である。最終プランで一番良かった点、それはルーフバルコニー部分を凸型に突起させたことで、外観バランスがとても良くなった点である。これも必然から生まれた結果だと…言える。
模型は良く出来ており、屋根やフロアをはずすと各階の間取りや構成が見られる。塾長の場合は、家づくりに異常な執念を燃やしているので、図面を見ながら、だいたい頭の中で3次元空間フライスルーが出来るのだが、妻は模型を見てはじめて『ここってこうなっているんだ』などと悠長な反応をしていた。設計段階では、設計者には見えていても、建て主には見えないものが山ほどある。また、細かい納まりなどは、設計者にも読めず、現場で初めて掴めることもある。無から有を生む、わからないことが出てくる。だから家づくりは面白いのだ。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
最終設計プラン3階
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図(クリックで拡大)のように、最終設計で浮上したルーフバルコニーはこの家のポイントになっている。3階は小屋裏空間のため天井高が低い。そのため、外に出られることで気分転換ができるのだ。また、階段は普通の階段になった。ルーフバルコニーは物干しに利用するし、子供部屋等への移動には、このほうが快適な動線なのだ。
子供が小さかった当時の我々の希望を形にすると、必然的にこうなったと頷ける最終の設計プランである。『家はオーナーが創る』と言われているが、設計者がオーナーの個性や希望をバランス良く具現化してくれると言うのが正しい表現であろう。設計では、平面図ばかり話題にしているが、同時に外観のバランスも考えなければならない。特に、窓の配置などがバランス悪いと建物の表情が台無しになる。家の外観は街に接しているので重要である。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
最終計プラン2階
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図(クリックで拡大)のように、2階へ上がると正面が12帖弱のリビングスペースである。ダイニングとリビングの一部は吹き抜けになっており、南側を向いた屋根の天窓から光が降り注ぐ。トイレと洗面室はやはり独立させてもらった。また、南側のバルコニーをダイニングとリビングが囲むことで、日当たり最高の空間配置となった。実際住んでみると、朝食のときは、日差しが眩しいくらいである。
建て主が最も気にするのが、陽当たりなのだが、真南はあまり意識しないで良いと思う。ビルに囲まれているならともかく、お天道様は上から降り注ぐのだから…。逆に夏の強い日差しをかわすため、少し東や北を意識した配置を考えた方が良い。南向きの陽当たり信仰は、何の取りえもない開発分譲地の宣伝文句として考えられたもので、鎌倉や湘南の海や山に囲まれた環境では、風の流れや緑の借景など、もう少し環境全体で、考え方を買えた方が良いかもしれない。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
最終設計プランの決定
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苦労の甲斐あって、図(クリックで拡大)のように最終プランが決定した。中央に突起をつくることで、全体の空間バランスが良くなったと思う。それに最大の懸案であった物干し問題も、この突起上部のルーフバルコニーで解決したのだ。
では、1Fからご覧いただこう。玄関は4帖程度の大きなスペースを確保した。雨の日に自転車を置いたり、宅配便などの荷さばきなど自営業者なのでとても便利だ。また裏庭に土足のまま抜けられる動線も気に入っている。階段が中央にあることで上下の動線が便利。オフィスと寝室は左右に約8.5帖大と程度の大きさ。スペースの都合から残念ながらウォークインクロゼットは無くなる。中央のトイレは、ゆったりバリアフリー1.8×1.8mサイズとした。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
もしかしたら海が見えるかも?
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再び、物干の課題を指摘すると、設計者の口からこぼれたのが、『ルーフバルコニーを物干しにするか!!もしかしたら3Fから海が見えるかもしれないし…』の一言! これは強烈なメッセージだった。海見えは、場所的にはあきらめていたこと。もしかしたら海が見えるかも知れない。それに3Fで洗濯物が干せるのは気持ちいいし、鎌倉の花火大会のときは特等席である。
図(クリックで拡大)の突起した部分の3Fをルーフバルコニーにすればうまく収まるかも…。そんな思いで最終プランとなった第3号をお願いすることになった。白状すると、このころ同時に他の住宅メーカーにも見積もりとプランを依頼していたのだった(SハウスとRホーム)。最初で最後になるかもしれない家づくり。九分九厘ダンハウスに決定したのだが、念のため他社の情報も得ておきたかった。そのうちの1社から出ていたプランにヒントがあった。建物の一部を突起させ、日当たりの良い南側をうける形にするのだ。この変更が外観のバランスを左右する大きな要因になるのはあとでわかったこと。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
設計変更3階部分
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3階の構成は少し変わった(クリックで拡大)。螺旋階段まわりの吹き抜けからリビングがのぞめるプレイルームになり、子供が遊んでいる気配を感じながら家事などができる。また、収納がある中央の渡り廊下からダイニングが望めるので、こちらも2階との連続性が生まれている。今回も素敵なプランである。しかし、設計者である半澤さんは、洗濯物干し場の宿題を忘れているのだった。
しかし、後日生活してわかることだが、プレイルームを物干にすることが実際多くなる。なぜなら、建築地は海岸から200mくらいのところで午後遅くなると潮風で洗濯物が湿ってしまうからだ。また、このプランでどうしても物干が欲しければ、2階のダイニングの前にバルコニーを拡大し、ダイニングの窓を型ガラス(くもりガラスのようなもの)にしすれば、洗濯物を見ずに済む。道路からは、ラティスのような目隠しをすれば良い。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
設計変更2階部分
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2階へ上がると前のプランとは全く違う。まず道路側にあったバルコニーを敷地の奥にもってきたこと。これによりリビングを明るい南側に配置することができた。リビングの移動に伴い、バルコニーが敷地の奥に来たので、通行人と視線を合わせずに済む。ダイニングが中央にある点は、前と変わりらないが、上部の吹き抜けが大きくなったので立体的に開放感が出ている。希望のトイレも独立となった。
そして何より、3階へは螺旋階段を採用したことが大きな違い。これまで、1階から2階への階段上に3階への階段だったが、木製の輸入螺旋階段をリビングの一角に設置することで1階から2階階段の上部に空間ができ、広々した印象になる。3階のオマケ的な演出もなされ、階段まわりも吹き抜けになり、リビングの一部に開放感が生まれた。2階のプランに関しては、今見ても、こちらの方が気に入っている。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
ちょいと設計プランを修正
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最初のプランのあと、洗濯物干場の問題など、いくつかの課題を設計者に伝えた。ほどなく(1日か2日)して、待望のプラン2号が出来きてきた(再びFAXの前でアドレナリン前回の自分)。修正箇所は、図面(クリックで拡大)のとおりで、1Fは大きくは変わっていない。前回の2分割されていたクロゼットを一体化し、少し細長いが、大きな1つのウォークイン・クロゼットにしてみた。トイレはゆったり1.8×1.8mのバリアフリーサイズとなる。
今になって思うのだが、設計者の最初のプランの方が間取りは良い感じがする。その時は、いくつかの課題を解決すること専念していたようだが、それは、暮らし方を変えることで解決できる場合もある。特に、それまで一戸建てに暮らす経験が少ない人にとっては、あまり細かい部分にこだわらず、設計者の第一プランに素直に従うのも良いだろう。しかし、後で建物の外観バランスの問題も出てくるので、自分の場合は、やはり設計変更は必然だったのだろう。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
ラフプラン3階
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図(クリックで拡大)のように、3階へ上がると小屋裏スペースになっている。1.4m以下天井高のロフトではなく、天井高が最高で1.8mある正式?な3階空間である。中央には、小さいながら吹きぬけがあり、2つの居室空間を橋のようにつなぎ楽しい雰囲気がある。道路側には、収納が4つついた8帖の洋室。天井に天窓をつけることで旨く15cmほど空間ができ、天井勾配で低くなっている部分にも人が立つころができるようになっている。もう片方の空間はファミリールームで12.5帖もある。将来子供のねぐらとして2分割することもでき、子供が小さいうちはプレイルームとして使えそうだ。
このプランはとても良くできていて、子供や少し成長した時点であれば、決まっていたかも知れない。しかし、当時の我々には問題と思われる点がいくつかあった。
●洗濯を干す場所がない!
テラスやバルコニーなど人がくつろぐ場所や、道路から見える場所には絶対洗濯ものを干さない主義。
●道路側のバルコニーは使えない。
道路側に面したバルコニー通行人から丸見えでくつろげない。
●トイレを洗面所から独立させたい。
洗面所にトイレがあるのは日本人にはなじみにくい。
●3階・小屋裏への階段が普通の階段でつまらない。
ダンハウスの他のオーナーの家を見ると、小屋裏への階段は螺旋階段だったり、小さな階段であったりと、あくまでもオマケの楽しい空間という印象がある。
以上、課題を列挙したが、これらを伝えるとすぐ一晩で修正ラフプランが届く…(次回に続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
ラフプラン2階
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図(クリックで拡大)のように、階段を登り、2階に上がると、ダイニングに出る。ダイニングからは玄関ポーチ上のルーフバルコニーへ出ることができる。ダイニングと連続したリビングは10帖と狭いが、全体のオープンスペースは20帖あり、なんとか合格点。リビングの開口部から、全部で約9帖大の木製のバルコニーに出られる。スライドドアーなのでリビングの床とバルコニーの床が連続し広がりが感じられるだろう。2枚で2.6m程の幅のある大きな窓(スライドドア)も3重ガラス。
反対側には、キッチンがあり5帖程で収納はたっぷり。ゴミなどを一時置くことの出来るミニバルコニーもお願いした。トイレと洗面所は一体となっており、お風呂は1.8m角のハーフユニットバスで壁は木製板張り。さらにダンハウスの最大の特徴である床暖房は、玄関やトイレをはじめ1F2Fのほとんどの床に敷設される。(次回に続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
できたぞラフプラン第一号
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ブ…ブ…ブリブリとファックス用紙が送られてきた。待望の我が家の1/100ラフプランである。『来た来た!』っと大声で叫びながら妻を呼び、紙を片手で引っ張りながら、送信が完了するのを待つ一時。一連の家づくりの中で、最も興奮する瞬間である(アドレナリン全開)。早速手に取り、『おー!こう来たか!』など感心しながら何事も忘れて図面に集中する2人。では、さっそく1階から図面(クリックで拡大)をご紹介しよう。
1階は玄関土間はダンハウス標準の1.8m角。右側に大きめのシューズクロゼットがある。階段は、玄関ホール正面2つの部屋の中央にあり便利そうだ。入って左側の部屋はオフィスとして使用。約9帖程度あり収納が2つついている。反対側は夫婦の主寝室である。主寝室の手前にはトイレがあり、中に入るとパウダーコーナーと夫婦それぞれのウォークインクロゼット。さらに寝室からは、テラスに出られる。テラスにはガーデンテーブルを置いて読書をしたりお茶をするなどと夢はふくらむ。(次回に続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
北側斜線
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北側斜線は、北側の隣地などの日照を確保するための決まりである。真北側の敷地境界線上5mの高さ地点から建物と境界線との距離を横軸に、その距離×1.25倍の高さを縦軸にした斜線を越えないようするもの。すべての用途地域でこの規定が存在するわけではないようである。
最初に書いたように希望の家の形はシンメトリーな大屋根スタイル。大屋根は低い位置(2階の床程の高さ)から屋根が立ち上がるのが特徴だが、我が家の土地は間口狭小のため、大屋根は少し無理なようである。3階小屋裏床程の高さから、屋根を立ち上げれば、北側斜線は余裕でクリアできるが、見た目も普通の家っぽいし、小屋裏の居住空間が小さく床面積が確保できまない。(次回に続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
道路斜線
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道路斜線は、接道する道路向かい側の敷地の境界線から建物までの距離を横軸に、その1.25倍の高さを縦軸にした三角形の斜線を超えないようにする決まりである。我が家は小屋裏空間を居室として活用するのが希望なので、高さ制限8m(風致地区)を最大限に利用する必要があった。4.1m(道路幅)+2.4m(建物後退)=6.5mとなり1.25倍すると約8m。単純に道路斜線に建物がかからないようにするためには、図(クリックで拡大)のように最低でも2.4m建物を後退させる必要がある。
あとで知ったことだが、緩和という措置があり、道路境界から建物が後退した分(我が家では2.4m)、さらに、道路の向かい側よりその距離を足して斜線を計算しすることができるらしい。詳しくは説明できないので、建築家にそのうち講義してもらおう。(次回に続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
建ぺい率
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土地にどの程度の大きさと&形状の家が建つかを検討するのがボリューム出し。手に入れた小さな土地は間口8.8m×奥行14.4mの38.9坪。我が家は建ぺい率・容積率の最大値を活用する限界設定に近づく。一方で、外観は家づくりで、人一倍気にしていた事柄なので、単に家が大きく建てば良いわけではない。建物の大きさと外観の美しさの両方をバランスとることが、家づくりの最大のテーマ。設計者と相談しながら、突き詰めるていくことで、この土地なりのベストの結論が出せる思う。
そのプロセスをわかりやすく説明していきたいと思う。土地の条件は以下のとおり。
・間口8.8m奥行き14.4mの38.9坪
・建ぺい率60%容積率200%(風致地区につき40%120%)
・高さ制限は風致地区のため8m
この土地にどれだけの建物が建つ(置けるか)か建ぺい率を考えてみる。風致地区では隣地と1メートルの間隔を開ける必要があり、建物は道路からは1.5m後退しなければならない。上図をクリックして拡大して欲しい、点線部分の間口6.8m・奥行き11.9mがその範囲だ。これでは建ぺい率オーバーになるので、南側をできるだけ開け、水色のように削る必要がある。この大きさが土地の大きさの40%=最大の建ぺい率である。
風致地区について意見を述べると、鎌倉市では多くの住宅地が指定され、容積率が低くおさえ高く大きな建物を建てることを抑制している。宅地内の既存の樹木伐採にも市長の許可が必要なほど。街並み景観保持の観点からは後世に残していきたいルールであり、鎌倉では風致地区こそ望ましい宅地なのだ。(次回に続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
我が家のプラン
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土地購入の最終決定にあたっては、設計者であるダンハウスの社長が現地に同行。それまで話していたイメージの家が建つかなどの助言をしてくれる。安心して購入決定ができた。土地を買って家を建てる人は、やはり、その時点で専門家のアドバイスが必要なので、建築家などのお見合いは事前にすませておくべき。土地を買ってから、建築家やハウスメーカーを選んでいては、時間的に追いつめられるだけで良い事は無いだろう。
我が家のプランについては、大蔵省との本契約まで少し時間があるので、自分なりの図面は何度も描いてみた。しかし、設計者の創造力の妨げになってはいけないと、あえて隠し、夫婦で間取りなどに関する基本的な希望を箇条書きにまとめ渡することにした。以下が内容。
【希望する建物の間取りなど】
容積を最大に活用し1〜2階はそれぞれ15坪程度。3階の床には吹き抜けをつくり床面積は10坪とし、延べ床面積は、40坪程度の家としたい。※家族構成は夫婦2名+子供2名(幼児)。
【1階】
・玄関→ 下駄箱・コートなどの収納
・トイレ→ 洗面化粧台つき
・オフィス→ 7.5畳程度+収納
・寝室→ 7.5畳程度 裏庭などへ出られる
・ウォークインクロゼット→ 衣装(夫妻の衣類)収納
・階段・ろう下→ できるだけ広く
【2階】
・ダイニングキッチン→ 一体型で中央丸テーブル+パントリー(子供が小さいうちは掃除や配ぜんが楽)
・リビング→ 小さめで可(ソファ+テレビを見る程度)
・小屋裏への階段→ リビングからオープンな配置
・浴室→ ユニットバス
・洗面→ 化粧台としても利用、脱衣スペース+洗濯機
・物干し→ 1.2メートル幅程度
・西側バルコニー→ リビングから続く開放的な空間
【3階】
・吹き抜け→ リビング上部に吹き抜け
・子供部屋→ 6畳程度のものを1つ(最初は家族4人でここで寝る)
・オープンスペース→ 将来仕切ってちいさな部屋を2つ作る
・収納→ 季節ものなどたっぷり収納できる
などなど、今思えばかなり子育て重視のプランだったと思う。間取りより先に決めなければならないのが建物の形や構造。構造は外観や間取りを左右する最大の要因である。果たしてこの狭小土地に希望の大屋根の家は建つのか?敷地図を見ながらの大検討大会へと続くのだった。(次回へつづく)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
繰り上げ当選!
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補欠ということで半分あきらめていた国有宅地。しばらく経ったころのこと、大蔵省関東財務局から電話が入る。「大蔵省?えっ!税金はちゃんと払ってますけど…!」と一瞬慌てるも、話を聞くと、上位の2名がキャンセルしたので国有宅地が買えることに…。あくまで推測だが、国有宅地は原則的に現金で全額(最近はローンも組めるらしい)払うため、上位の2人は資金繰りがつかないか、最終判断でキャンセルしたのだろう!
いよいよ最終判断をすべく夫婦で現地を再度訪れる。もともと開発分譲地のような区画された雰囲気が嫌いだった我々夫婦は、古くからある家がまわりに多く、比較的閑静な雰囲気に満足。念のため両親に『買うぞ!』宣言し(義理の父は霊能者?で土地が汚れていないかわかるらしい!)、ついに!マイ土地を手に入れたのだ。(拍手!)
決断は、土地の条件に加えて、2人目の子供が生まれ市ヶ谷のマンションも手狭になったこと。そして、何より、早く自邸を建てたくて我慢の限界にきていたことである。もちろん、この国有宅地を買うにあたっては、どんな家が建つかを周到に吟味したのは言うまでもない。その詳細は今後ご紹介するとしよう。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
国有宅地が当たった!
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国有宅地のメリットは、売買手数料不要で登記費用が国の負担など土地購入に関する諸費用が大幅に軽減できること。4000万円の土地で換算すると、総額百数十万円くらいだろうか?価格もこの時点のマーッケットプライスより少し安い印象である。デメリットといえば5年間は売却してはいけないことくらい。
JR鎌倉駅から徒歩15分。材木座5丁目海まで200m。38.9坪の長方形の土地。道路幅4メートル。『希望より狭小だが、10年程したら住み替えてもよいし、経済状況により永住になる場合も十分な広さの家が建つ!最終結論は当選してからゆっくり考えればよい。』そんな気持ちで申し込んでいた国有宅地だった…。
ある日のこと、結果通知が我が家のポストに入っていた。なんと補欠2番目ながらも見事に当選しているではないか!補欠2番目ということは、上位2人が買わなければ、自分が買えるということ。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
候補の土地を見つけるが…
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鎌倉から東京へは横須賀線で約1時間と言っても、仕事で東京通いが週数回ともなると、鎌倉を楽しみながら、のんびりと暮らせない。いっそ東京に戻ろうということになり、都心のど真ん中、市ヶ谷船河原町のマンションへ。東京でも、不動産会社からFAXがくるので、土地探しに不自由はない。月2回程度は車で土地を見に通い、これぞという土地に出会った。
由比ヶ浜の48坪で蝶ネクタイのような変形の敷地。容積率が高いので70坪以上の家が建つ。若干予算オーバーだが、妻の両親と2世帯住居にし、両親からの家賃でローン増額分を払うという案が急浮上。契約に向けて計画を進めた。ダンハウスからは、即日1/100ラフプランがFAXで送られてくる(上写真クリックで拡大)。両親の住居スペースが狭いという意見があったが、あとは購入決定後に調整ということで返事を待っていた。
不動産会社から電話で『売り主の親戚が買ってしまった…』との報告。またまた土地探しはガッカリ空振りに終わってしまったのだ。鎌倉からこれといった物件情報が出ない日々が続き、渋谷や世田谷の土地まで物色するようになり、土地探しが混沌としていった。そんな時、ふと目に付いたのが、国有宅地定価売却の新聞広告。材木座や坂の下など鎌倉の土地が時々出ていた。FAXサービスで物件概要を見るとなかなか悪くない。買うか買わないかは当たってから考えれば良い…と軽い気持ちで申込みをすることにした。(次回へ続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
チルチルミチルの土地さがし

いよいよ本格的に土地探しを始めた。希望は、鎌倉駅から徒歩15分程度で谷戸風情があり、敷地面積が最低45坪以上で4500万円くらいの土地。当時は、これが至難の業で、気に入った土地はだいたい6500万円以上。土地探しを語らせたら本が書けるくらい、全部で50件以上は物色した。
土地探し経験のポイントをまとめよう。まず複数不動産会社のセット広告チラシは見る価値なし。次に不動産会社1社で沢山の不動産を紹介しているものも公開済み物件ばかり。で…唯一注目すべきは1枚ものチラシ。これに問い合わせをし、営業マンと関係ができると広告前の物件を教えてくれるがガセネタも多く、広げすぎると、営業の電話がうるさくなる場合も…。いずれにせよ、時間と情熱をかけることが一番。営業マンより、物件情報に詳しくなるくらの気概が欲しい、自分の土地探しは自分が最も専門家であるのだ。
気に入った物件が出てくる度に、容積率や建ぺい率や高さ制限など法規制の中で希望の家が建つか現地まで足を運び助言してくれる建築家が欲しい。私の場合、ダンハウスがラフプランまで考えたので安心して土地を見極めることができた。しかし、そんな努力にもかかわらず、土地がなかなか決まらない。理由は以下のとおりである。
・なんとなく緑が少なく風情がない。(わざわざ鎌倉に移住する意味がない)
・自分の希望のダンハウスが建たない。(敷地形状や大きさ・法規制による)
・結局購入申込みをしても売り主の親戚が買ってしまう。(こういうのが本当に良いところ)
土地探しを始めてから数年経つも、希望の土地はなかなか見つからず、チルチルミチルの土地探しは続いた。(次回に続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
出会いは1枚のチラシ

ある日、目に止まったのは、大屋根の素敵な家の写真が入ったチラシ。これが私とダンハウスとの運命的な出会いである。そのころは我々夫婦は、都内の公団住宅から鎌倉大町の昭和初期の平屋に借家住まい。この家のある逗子は目と鼻の先だったので、週末ドライブがてら、さっそくモデルルームへ…
出迎えてくれたのは当時のアシスタントの高橋さん。ダンハウスにはモデルルームは無く、たまたま海外赴任中のお宅を一定期間だけ借りしていたのだ。そのときの第一印象は、表面だけ真似た他の輸入住宅にはない重厚さ!(古民家のような骨太感)。日本の暮らしにつながる色彩と木のぬくもり!広々として変化に富んだ空間構成!など
今だから正直言うと…初めて家のモデルルームを訪れるという緊張感と、経済的に『手が届かないんでは?』という自信喪失感で落ち着いて見学できなかったのが本音だったかも…。でも、玄関から庭へ抜けるパティオ。総フロア床暖房。吹き抜けや広〜いトイレやお風呂場。十分の天井高の小屋裏3階とルーフバルコニーなど、海外の住環境にひけをとらない空間は理想そのものだった。
『果たしてダンハウスを建てられるのか?』商人である私はさっそく得意の算盤をはじく。当時のチラシには標準的な建築費坪76万円〜とあるので、(その後、坪単価表示はなくなる。)諸費用など合わせ、40坪でなんとか総額3千万円ちょっとで家が建つと希望的観測をもったのだが、後日ダンハウスの社長である半澤氏から「坪100万円は用意して!」と言われるも、それはあくまでも例外と…、えっ!実はそうでも無いようである。(次回に続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
あの頃僕は若かった!

家を持ちたいと思ったはの、結婚してしばらく…それはバブル末期!。5000万円以内で買えるのは、電車に1時間以上乗って駅から徒歩15分程度の70平米弱のマンション。通勤圏の一戸建ては軽く1億円を越え、いささか嫌気がさし、山の中(軽井沢など)に住もうかと真剣に考えていたもの。そんな緑に囲まれた理想の環境に建つ我が家は、輸入住宅ムックで見た大屋根のイメージ。このイメージが、これから長く続く家づくりの始まりであり、原点でもあるのだ。
大屋根が好きなのは、近頃の箱形住宅にはない、やさしさと気品が感じられるからである。子供の頃見て感動した白川郷の合掌づくりは、小屋裏が4層か5層あり、変化に富んだ空間構成で屋内も楽しい。それに、なんと言っても三角屋根は子供が描く家の絵の基本形である。
夢が一歩現実に近づく転機となったのは、マルチメディア映像の制作会社を起業して数年経った頃(1995年頃)。収入が増え頭金が貯まった事。子供が生まれたことなど、条件がそろってきた時期である。家づくりの場所に選んだのが、山と海に囲まれ、かつ東京まで1時間。おしいいレストランや観光名所も多数ある「鎌倉」。まずは、昭和初期の平屋住宅(家賃16万)に移住し、そこでSOHOしながら不動産や住宅のチラシを読みあさっていた…。そして、ある日、それは突然やって来たのです。運命的な出会いです。(次回に続く)
※こちらは、最初の自邸建築(1998年竣工)の記録です。
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